私、障害のある方の住まいづくりを専門にしている一級建築士です。
世の中に建築の会社はたくさんありますが、「障害者を専門にする会社は珍しいですね」と
よく言われます。そうなのかなと思って、
インターネットでも検索してみましたが、どうやら想像以上に少ないみたいですね。
ここでは、そんな会社を10年ほど前に立ち上げた私の
自己紹介・・・というよりは、なぜ私がこういう分野に
進むようになったのかという経緯を、かいつまんでお話
しします。
私の経歴を知りたい方はこちらからご覧下さい ⇒プロフィール
こういう仕事をしているので、時々つぎのような質問をされます。
「失礼ですが、お身内に障害者がいらっしゃるのですか?」
特に、そういうわけではありませんが、私が今の仕事をするきっかけとなったあるエピソードを紹介します。
私が32歳の時、一日ボランティアで視覚障害者のガイドをすることになりました。
当時の私は、自分のライフワークを見つけられずに失業中でした。
すでに結婚し、3歳の子どもがいたにも関わらず・・・。
そんな私を見かねた妻が、せめて何かしなさいとボランティアを勧めてくれたのです。
実は、生まれて初めてのボランティア経験でした。
特に、障害のある方々の事に興味や関心があったわけでもなかったのです。
ガイドをするお相手は、寺井さん(仮名)という50歳くらいの男性(全盲)でした。
その日は近くの小学校におもむいて、6年生の特別授業で寺井さんが視覚障害者の生活を話すことになっていました。そのサポートが私の役目です。
かけたてのワックスがぷーんと匂う廊下では、寺井さんが滑らないよう注意をうながします。子どもたちが珍しそうにざわざわ騒ぐ教室に入ると、子どもの人数や教室内の様子をさりげなく伝えます。そうしているうちに、私は、難なくサポート役割をこなしていける気がしました。
担任の先生の短い紹介の後、寺井さんのトークショーが始まります。
「私にもみんなと同じくらいの息子がいてね・・・かなり男前らしいんだけど(笑)」
「目が見えなくても、この教室の広さくらいはだいたい分かるよ。」
「家から市役所までなら、誰の手を借りなくても大丈夫。
毎週、すたすた歩いて行ってる。」
みんなが思うほど日常生活には困っていない・・・という寺井さんの一言、一言に、子どもたちは時には歓声をあげ、時には目を丸くします。
もちろん私もです。
4時間目が終わるチャイムが鳴りました。白いエプロンをつけた子どもたちが、そそくさと給食の用意を始めます。寺井さんと私も、一緒に給食をいただけるようです。
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運ばれてくるトレーからは、懐かしい給食パンやベーコン入り野菜スープの匂いがしてきます。給食当番から「いただきます!」の合図がありました。 20年前にタイムスリップした気分で、牛乳パックにストローを差そうとした瞬間です。 |
隣にいた寺井さんの口から出た言葉は、今思い出しても、泣きたいくらい悲しい気持ちにさせます。
「すいませんが、どこに何があるのか教えてください。」
障害者のサポートなんて、それほど難しいことではないと思い始めていた私にとって、胸を貫かれるほどショックな一言でした。
生まれつき目が見えない寺井さんは、いわば「ベテラン」の障害者です。
人の助けを借りずに、誰もが驚くほどの事をいろいろやってのけます。
しかし、食事を前にして、どこにどんなものが置いてあるのかは分かりません。
熱々のスープに手を入れて、それがスープである事を確認するなどできるはずがないのです。
そんな当たり前のことにすら気づけなかった自分がとっても、とっても情けなく思いました。
この事件をきっかけに、自分のライフワークがおぼろげに見えてきた気がしました。
私は、もともと建築技術者です。同じ技術者であっても、障害のある方に役立つエンジニアになりたいと強く思い始めました。
その頃知ったのが、「兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所」という研究機関です。障害者にとっても暮らしやすい環境づくりの研究所らしいのです。
まさに、私のイメージ通りの職場でした。
さっそく、採用していただけないかと思い、履歴書をもって強引に押しかけました。
その時、面接を担当した方が、後に私の師匠となる相良二朗さんです。(現在、神戸芸術工科大学 教授)
なんとか非常勤研究員として採用された私は、何人もの「身体障害者」の方の話を直接、本人からお聞きする機会を得ました。車いすの方々と一緒に街に出たり、合宿したりするチャンスもありました。
師匠の相良さん(工業デザイナー)は、不思議な魅力のある方です。
明るくて気さくな感じですが、部下の私に対して、あまりくどくどと教える事はありませんでした。
その代わり、私が疑問をぶつけるとポツリ、ポツリと珠玉のヒントを与えてくれました。
私と机を並べていた作業療法士の村上さん(当時)は、障害の種別ごとに、身体機能の特徴や、環境の作り方のコツを細かく教えてくださいました。
村上さんと一緒に、頚髄損傷のSさんのお家を訪問した事もありました。Sさんは、何年も在宅生活してきた中で分かってきたことを惜しみなく教えていただきました。寝室の日当たりの大切さ、福祉機器を使うことのメリットとデメリット、齢をとるにつれて体も生活も変わっていくということ・・・どれもこれも、貴重な教訓でした。
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この研究所で働かせていただいたのは、わずか1年です。 しかしこの時の経験が今の私、そして当社の方向性を決定づけたといっても過言ではないでしょう。 (ただ余談ですが、研究員としての私は特に優秀ではなく、むしろお荷物的な存在でした。その代わり宴会で、ギターを弾きながら即興で歌うパフォーマンスは非常に好評でした。) |
兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所は、あくまで県の研究機関ですから、実際に住宅を設計したりするわけではありません。
障害のある方から家のことで相談を受けても、お手伝いできるのは、せいぜい情報提供や、アドバイス程度です。
もっと直接関わるには、独立するしかないと思いました。研究所を退職し、自分の設計事務所を立ち上げました。(設計事務所とは)
研究所で得た知識や技術を生かせば、すぐに多くの障害者の方の住まいづくりのお手伝いができると思い込んでいました。しかし現実には、そんな簡単なものではありませんでした。
(このあたりの話は、「サニープレイスとは」を参照)
現在のサニープレイスは、少人数ではありますが、すばらしいスタッフ・・・工事監督や職人さん達に恵まれています。彼らのおかげで、やっとお客さんに喜んでいただける住まいづくりができるようになった気がします。(より改善すべきテーマもまだありますが)
時間はかかりましたが、ここまで来たのは私の家族の支えがあったからです。同時に、お客様の暖かい声、そして時に厳しい声があったからこそ、成長を続けることができました。
これからの課題は、サニープレイスの理想を受け継いでくださる若いスタッフを一人、一人増やしていくことだと思っています。(人材募集)
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岡村英樹 昭和39年11月14日 加古川生まれ 現在は 兵庫県高砂市在住です。 |
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| 家族構成 | 妻(ホームヘルパー派遣事業所を経営)、長女(中学生) 犬2匹(雑種・メス「ロビン」、ミニチュアシュナウザー・オス「こりき」) |
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| 資格 | 一級建築士 | |
| 趣味 | 読書、映画鑑賞、音楽(ギター)、ドライブ、子どもや犬と遊ぶ | |
| 著書 | 「OT・PT・ケアマネにおくる 建築知識なんかなくても住宅改修を成功させる本」 三輪書店 |
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| 経歴 | |
| 昭和58年 | 私立 淳心学院 卒業 |
| 昭和62年 | 大阪大学 工学部 建築工学科 卒業 |
| 平成元年 | 大阪大学大学院 工学研究科 建築工学専攻 前期課程修了 (工学修士) |
| 平成元年~7年 | NTT 建築部門 勤務 |
| 平成7年~9年 | 司法書士事務所 勤務 |
| (ここで少しの間、失業) | |
| 平成9年~10年 | 兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所 勤務 |
| 平成10年 | 岡村英樹建築設計室 設立 (障害者の住宅の設計業務 開始) |
| 平成11年 | 有限会社 岡村英樹建築設計事務所 設立 |
| 平成13年 | 有限会社 サニープレイスに社名変更 |
| 現在に至る | |
| 平成18年~現在 | 大阪府立大学 総合リハビリテーション学部 非常勤講師 |
| 平成21年~現在 | 京都大学 医学部 非常勤講師 |









